Story of Meyers Manx|メイヤーズ・マンクスが生み出した伝説のデューンバギー

Meyers Manx

1966年、マンクスは「Hot Rod」や「Car and Driver」というさまざまな雑誌の表紙を飾り、一躍注目を集めるようになり、瞬く間に注文が殺到。このためメイヤーズは本格的な生産に乗り出したが、当初予定のモノコック構造では生産コストが高くなることが判明。一転してフォルクスワーゲン・タイプ1のシャシーを約14インチ短縮したものをベースとする新デザインを採用した。

これによりコストが削減され、メイヤーズ・マンクス・バギーの量産がはじまったのだ。

ところが、こうした“成功” が皮肉にも“終わりの始まり”にもなった。廃車になったフォルクスワーゲン・タイプ1に 600ドル程度のコストを掛ければ完成するこのクルマは、多くの人々にとって手の届く価格で提供されたが、それ故に模倣品が市場に溢れることとなったのだ。

模倣品は品質が劣るものも多かったが、安価で容易に入手できるため、競争は激化。メイヤーズは特許侵害訴訟を起こしながら、その一方で、模倣品対策として新モデルを続々と開発したが、残念ながら市場の支持を得ることはできなかった。この結果、1970年にメイヤーズは訴訟と財政問題に疲弊し、翌1971年に会社を手放すこととなる。

その後、模倣品は市場に広がり、世界中で約25万台のバギーが製造されたが、本物のメイヤーズ・マンクス・バギーはそのうちの5000台程度に過ぎないといわれている。
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