THE LAST AMERICAN HERO|イーブル・クニーブルと彼のオートバイ
- 2023/12/2
- BIKE
- イーブル・クニーブル, Evel Knievel, センバモータース, SEMBA MOTORS
20世紀末にアメリカで大活躍したオートバイ・スタントの先駆者であるイーブル・クニーブルは、バイクを使ったスタントジャンプで一世を風靡。アメリカだけに留まらず、ヨーロッパでもショーを披露するなど、世界中で活躍したエンターテイナーだ。
心に刻まれたアメリカンヒーロー
イーブル・クニーブル(Evel Knievel)をご存知だろうか。
1938年にモンタナ州ビュートで生まれたイーブル・クニーブルは、バイクスタントで観客を熱狂させたエンターテイナーだった。
1966年にカリフォルニアで人生初のスタントを試みた彼は、2台のピックアップトラックを見事に飛び越え、ほどなくしてスタントジャンプを、“客を呼び込むことのできる興行”として企てることに成功した。
その後、1977年に引退するまで、イーブルは300回以上もスタントジャンプにチャレンジし続けた。
時にはトレードマークである白いジャンプスーツに身を包み、スタジアムに積み上げられた50台のクルマの上を軽々と飛び越えてみせたこともある。
オハイオ州キングズアイランドではグレイハウンドバスを14台並べて飛び、世界記録も樹立した。
その一方で、命知らずの挑戦はいつも成功と失敗が紙一重という危険なものだった。
イーブル・クニーブルはその生涯にわたり433回もの骨折を経験したといわれている。
1971年にはラスベガスのホテルで一世一代の大ジャンプを企画。シーザースパレスの噴水を飛び越えようとした彼は、着地に失敗して全身を骨折、29日間も昏睡状態のままベッドに横たわるという大惨事に見舞われた。
台本など一切なし、まさに命懸けの大ジャンプは、成功しても、そして皮肉なことに失敗しても、見る人の心を虜にした。
そう、彼は紛れもなく、アメリカンヒーローだった。
そのイーブル・クニーブルは、じつはスタントバイクのおもちゃに姿を変えて、日本にも上陸している。
昭和40年世代の中には、イーブル・クニーブルのおもちゃを手にして遊んだことを覚えている人もいるだろう。
旧ポピー社が販売したアクション玩具「冒険オートバイチャレンジマシーン」は、ハンドルを回してバイクのホイールを回転、発射台から勢いよくバイクを飛び出させ、付属のジャンプ台を使って飛距離を楽しむというものだった。
白いジャンプスーツに身を包んだイーブル・クニーブルのオートバイが、見事な曲線を描きながら宙を舞ったのである。
「アメリカン・カルチャーに惹かれるようになったのは、あの頃の、小さなおもちゃがきっかけだった」と振り返る昭和40年世代は少なくないはずだ。
そう、彼は僕らのヒーローでもあった。
センバモータースの岡田学さんとイーブルが愛したスポーツスター
イーブル・クニーブルは実際のスタントではホンダやスズキ、トライアンフなどの車両を使うことが多かった。
ハーレーダビッドソンを使うようになったのは1970年からで、実際に使用されたXR750はニューヨークにあるスミソニアン博物館に今も収蔵されている。
1977年1月にイリノイ州シカゴで予定していた(生きた鮫の水槽を飛び越えるという)シャークジャンプのリハーサル中にイーブルは撮影中のカメラマンに怪我を負わせてしまい、ジャンプパフォーマンスからの引退を表明する。
最後に乗っていたのもXR750だった。
ヴィンテージ・ハーレーを専門に取り扱う、大阪の老舗専門店「センバモータース」は、1947年(昭和22年)に大阪府中央区船場で先代の故・岡田博さんが開業した。
戦後間もない焼け野原の日本で大阪から東京や横浜へと出向いて進駐軍から払い下げのハーレーダビッドソンを200台も集めると、(一般公道でも乗れるように)一台一台車体を塗り替えて販売したことで一躍全国に知られる存在になったという。
現在は先代から会社を託された岡田学さんが代表を務め、1993年に店舗も東大阪市へと移転。1階にサービスファクトリー、2階・3階をショールームとして営業を続けている。
イーブル・クニーブルのスポーツスターは、そのセンバモータースが2021年春に入手したもので、映画『VIVA KNIEVEL!』の劇中車として製作された3台の内の1台である。
3台のスポーツスターはスクラップになった1台を除いて2台が現存、その内の1台が今回撮影させてもらった個体だ。
この車両はコンディションが良かったため映画のクランクアップ後にイーブルが個人的に乗ることになり、制作会社から譲ってもらったものだというから、ファンにとってはより一層希少性の高い個体といえるだろう。
残った2台の内、もう1台はスクラップ同然だったものをハーレーのディーラーが買い取ってレストア。完成後にオークションに出品すると12万ドルほどで落札されたというから、現車の価値も“推して知るべし”である。
これら3台の劇中車はいずれも映画『大脱走』でバイクに乗ってフェンスを飛び越えたり、『ブリット』でカーチェイスを繰り広げたり、長年スティーブ・マックィーンのアクションシーンを務めたスタントマンのバド・イーキンス(Bud Ekins)が製作し、チョッパーのビルダーやペインターとして知られるディーン・ランザ(Dean Lanza)がペイントを担当。その美しいグラフィックもしっかりと残されている。
アメリカのコレクターから運良くこの車両を手に入れたという岡田さんは、1970年代後半に渡米、ハリウッドに3年ほど住んでいたこともあるそうで、今なおアメリカに数多くの友人・知人がいる。
イーブル・クニーブルのスポーツスターもこうしたネットワークを通じて手に入れることができたものだ。
ちなみにイーブルのラストネームはかつて「クニーブル」としてカタカナ表記されていたが、近年は「ニーブル」と表記されることが多くなった。
岡田さんは「私もその点が気になって、イーブルの息子のインタビュー映像を何度も繰り返して見たんですよ。そうしたらたしかにクニーブルって、“K”の発音をしているんですよね」と教えてくれた。
この見解を支持して、本稿では「イーブル・クニーブル」として統一した。
イーブル・クニーブルは2007年11月30日にフロリダ州で永眠。享年は69歳だった。
ABOUT SEMBA MOTORS|センバモータースとは
1947年に創業した「船場モータース」(後に株式会社船場と改称)は、大阪市船場(現在の中央区)に店舗を構え、進駐軍の残していったミリタリーモデルを買い取って一般に販売することで一躍脚光を浴びた。1993年に現在の東大阪市に移転し、先代から会社を託された岡田学さんが代表を務める。岡田さんは1977年から3年ほどカリフォルニア州ハリウッドで暮らしていたこともあるそうで、「当時のハリウッドは現在の姿からは想像ができない暗黒の街(笑)。特に僕がねぐらにしていたエリアはポリスも入りたがらないほど治安が悪い場所で、バイクの買い付けをやりながら、色々なバイトをして食い繋いでいました。土地柄からかタレントや俳優と親しくなることも多く、一時期はボブ・ディランの家族に付いてボディガードをしていた時期もありました」と当時を振り返る。
CONTACT|SEMBA MOTORS
WEB|http://www.semba.co.jp
LOCATION_花園ラグビー場(第一グラウンド)
※写真は特別な許可をいただき撮影したものです。施設内・グランド内に許可なく人や自動車、オートバイは入場できません。
PHOTO|KAZUTOSHI AKIMOTO
TEXT|KAZUTOSHI AKIMOTO
PUBLISHED|2023
SOURCE|Cal Vol.52
Copyright © CLASSIX
本WEBサイトにて掲載されている写真及びテキストの無断転載を禁じます。