高い機動性と信頼性が評価され 海外でも人気を誇った“ヨンマル”|ランドクルーザーの歴史を振り返る
- 2023/8/27
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- ランドクルーザー, トヨタ・ランドクルーザー, 40
無骨ながら独特の愛嬌ゆえに長く愛されることとなった40系。ハードトップのルーフはFRP。バックドアも左右観音開きと上下開きを選択することができた。ミラーの位置などは年式によって異なっている。
トヨタにおけるオフロード4輪駆動車の歴史
トヨタにとっていわゆるオフロード4輪駆動車の歴史は、太平洋戦争中に陸軍からの要請で開発に着手されたアメリカンバンタムBRCのコピーであるAK10に端を発する。
その後は戦後間もなく警察予備隊向けに開発されたBJ型トヨタジープ(マイナーチェンジ後にランドクルーザーとなる)を経て、昭和30年に20系へとモデルチェンジ、さらに昭和35年のモデルチェンジで40系となった。
20系から40系に至る系譜はトヨタにとっても自社の製品が世界的に評価される上で大きな契機となったモデルだった。というのも発売開始と共に輸出も開始された20系と40系は、未だ極東の小メーカーという評価しか得られて無かったトヨタ車にとって、性能及び品質の双方において確固とした信頼を勝ち得た最初の日本車でもあったからだ。
40系が登場した昭和35年、すなわち1960年は軽快なオフロード4輪駆動車の元祖でもあったアメリカのジープも新型のCJ-5にモデルチェンジし6年が経過した時代である。そうした中でCJ-5よりもパワフルでオフロードは元よりハイウェイでの走行性能にも優れ、しかも設計に当たっては最初からフルメタルボディの採用を前提とするなど、乗用車的なキャビンの快適性にも留意した40系は、乗用車としての存在意義も認められて、高い評価を得ることに成功した。
ちなみにランドクルーザーのエンジンは、20系がデビューした時点では直6気筒OHVガソリン3.4リッター75hpのB型のみで、途中からデビュー時は消防車シャシー専用だった6気筒OHV3.9リッターガソリン125hpのF型が追加された。
アメリカ市場で歓迎された40系ランドクルーザー
モデルチェンジした40系ランドクルーザーではこのパワフルなF型のみがラインナップされたことも良い方向に作用していた。またシフトレバーがコラムシフトを選択できる様になったこと、トランスファーの切り替えレバーがフロアからダッシュ上へと移動したことも、主としてアメリカ市場で歓迎された。
コラムシフト車はフロントシートがベンチとなり3人乗りが可能だったことも高く評価された要因のひとつである。
このランドクルーザー40系は2285mmのショートホイールベースFJ40を基本に2430mmのミドルホイールベースFJ43、2650mmのロングホイールベースFJ45でシリーズを展開、程なくしてさらに300mm延長したホイールベース2950mmのスーパーロングであるFJ45(B)が追加された。ロングホイールベースが2950mmに統一されたのは1967年型でのこと。
ショートハードトップのルーフ材質がスチールからFRPへと変更され、リアのコーナーウインドウが新設されると同時にリアの各ウインドウが拡大されたのもこのモデルからのことである。
H型ディーゼルエンジンの追加
続いて1973年型からはディーゼルエンジンが選択できる様になり、直列6気筒OHV3.6リッター95psのH型ディーゼルが日本国内向けのロングホイールベース仕様HJ45としてリリースされた。
さらに翌年には直列4気筒OHV3リッター85hpのB型ディーゼル(旧型ガソリンのB型とは別物)が投入され、ラインナップはショート/ミドルのBJ40/43となった。
6気筒に対して軽量コンパクトだった4気筒の登場は、40系の機動性をさらに向上させた。さらに以降は特に日本国内市場においては4ナンバー登録が可能となったことに加えて燃料価格の安さもあって、ディーゼルが人気を高めることとなった。ちなみにこのエンジンを開発製造したのはダイハツである。
大々的なマイナーチェンジの実施
ランドクルーザー40系は1970年代半ばの段階で工業製品としては完成されていたが、1979年2月に至って大々的なマイナーチェンジを受けることとなる。変更点はボディの外観デザインを踏襲しながら、パネル分割や板厚の薄肉化などを実施したことで生産性が向上したことである。
これは主としてボディパネル生産設備が更新されたことを受けての変更だった。また燃料タンクの装備位置が変更されタンク容量も65リッターから95リッターへと大幅に増量された。さらに日本国内仕様では排気ガス規制が強化されたことを受けてB型エンジンを排気量3.2リッターに、最高出力を93psにアップした2B型へと変更。BJ40はBJ41に、BJ43はBJ44へと型番が変更された。
続く1980年代、40系ランドクルーザーは生産開始から20年の年月を重ね、そろそろ次期モデルの声も噂され始めたものの依然として市場における評価は内外を問わず高く、1980年7月には新型ステーションワゴンである60系ランドクルーザーのデビューに合わせて、主要なメカニカルコンポーネンツの共用化を目指したマイナーチェンジが実施された。
ここではサスペンションまわり、エンジン、トランスミッション、トランスファーなどが新調された。具体的にはロングホイールベース仕様のエンジンをH型から排気量4リッター110psの2H型に、また排気量を3.4リッターにアップした4気筒の3B型も投入。
前者はHJ47、後者はBJ45となった。この後は内外装のリファインや特別仕様などが適宜投入されたことで、ランドクルーザーのイメージは一段とマイルドなものとなり一般向けになっていった。
最後のビッグマイナーチェンジ
40系において最後の大きなマイナーチェンジとなったのは1982年モデルでのことであり、さらに排ガス規制が強化されたことでショート/ミドルボディのエンジンを2Bから3Bに変更。このエンジンは燃料噴射ポンプも新型となっていた。
1984年11月、ランドクルーザー40系はその生産を終え、後継モデルである70系にバトンタッチしたものの市場での人気は依然として高く、引き続き中古車市場での人気車となっていった。
ILLUSTRATION|JIMMY MASHIKO
TEXT|AKINORI YABUKI
PUBLISHED|2023
SOURCE|LAND CRUISER CHRONICLE Vol.02
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